本日、私の元職場の城北病院の若手と話をしていて、こんな詩を紹介して
もらいました
この詩は東日本大震災で被災しながらも奮闘した職員の想いを込めて、
坂総合病院検査室の職員さんが綴ったものです
ソースはこちら→坂総合病院のホームページ
坂総合病院は宮城県の防災拠点病院として、3・11以降地域で大きな役割を
果たしています。
城北病院と同じで民医連(民主医療機関連合)に加盟しており、城北病院や全国の
加盟病院も集結しました
阪神淡路や能登沖地震など、各地で災害が起きても民医連は医師・看護師・介護職
事務など、多くの職員を送りだし一丸となって復興に医療活動に当たってきました。
それが、医療機関としての原点だし、役割です。
そのような想いと誇りを綴ったものが以下です。
「命に向き合う」
2011年3月11日午後2時46分 M9.0の大地震・津波・原発事故
想像を絶する大災害の中 わたしたちは多くの命に向き合った
患者さんは 利用者さんは 立っていられないほどの揺れの後に
気遣ったことは わが身よりそれぞれの職場のことだった
雪と寒風にさらされ 氷点下の中 何時間玄関前に立ったのだろう
いったい何人に聴診器をあてたのだろう
何枚のカルテを書いたのだろう
1階から10階まで何度,階段を往復したのだろう
いったい何個のおにぎりを握ったのだろう
支援物資の箱をいくつ仕分けしたのだろう
家族とわが家を案じながら 何日も病院に泊まり続けた仲間がいる
徒歩で 自転車で さらに避難所から通勤している仲間もいる
わたしたちはどれほどの涙を流したろう
助けられなかった命に
犠牲となった仲間に 愛する者・住み慣れた家を失った仲間に
北海道から沖縄まで 追いつけないほどの全国の民医連の仲間からの支援に
余震の中で産声をあげた小さな命に 避難所となった小学校の卒業式に
ひげが伸び放題の顔が お化粧をしていない顔が こんなにも美しいことに
「お疲れさま」「よろしくお願いします」と声をかけあうたびに
原発をはじめあらゆる復旧活動に従事している人に
流通・販売 教育・保育・福祉 あらゆる職業の人に
すべてを失い 愛する者を亡くし 悲しみと不安の中にありながら
不自由な避難生活の中でも毅然としている人たちに
はるか遠くの地にあっておやつを我慢して募金する幼子から
手を合わせ復興を祈るお年寄りに
エールを送ってくれている日本中の人たち全てに対して
わたしたちは 誇りを感じている
わたしたちが いま なすべきこと それは
目の前の命に向きあうこと
つぶされそうな心を 破裂しそうな心を ともに分かち合うこと
夜明けがいつかは分からないが「明けない夜はない」ことを信じること
そして 前に進もう
犠牲となった多くの命を決して忘れず 生かされていることに感謝し
心を高く挙げて しっかりと歩んでいこう
2011年3月31日 坂総合病院・クリニック職員一同