「なぜ利権政治がいけないのか」
市長選挙のさなか、頭を整理しておきたいと思い書いてみます。
このブログにも何度か書きましたが、山野前市長が辞職したのは、タイミング的にみていろんな陰謀論もありますが、明白なのは「場外車券売り場問題で、山野前市長が密室談合して念書や同意書を交わし、さらにそれが破談になりそうになると、月200万円と言う家賃の提示をして市のリサイクルセンター設置案を出した」ということ。
それがなぜだめか、法律的にみて犯罪だという弁護士もいますが、わたしは同じ政治家として政治を「携わる者の絶対やったらいけないこと」だと、まずは強く思うのです。
それはなにかというと、山野前市長がやったのはあきらかに「利権政治=贈収賄や公共事業発注の際の談合行為 など、業者と政治家が結託して大きな利益を得ることが横行している政治」だから。それがなぜいけないかというと、一部の業者と政治家が結託するということは、金沢市民46万人の声ではなく一部の方の声しか聞こえなくなるから。その一部の方というのは、今回山野前市長は「選挙応援をしてもらった」方です。ほんとうにそれだけかは、山野前市長自身から議会の場であきらかにされていません。しかし「選挙応援」て隣近所に10票20票増やしてというものではなく、「事務所にはりつき、親戚縁者、会社、お願いに翻弄した」と相手の事業者がおっしゃっているように、誰もができるものではなく、それなりの社会的地位やお金があったり、組織をもっている方でないとできないのです。つまりはお金持ちや権力者、有力者しか、本格的な選挙応援や資金援助はできないということ。てことは、首町や議員が「利権政治」に手を出せば、やはりお金持ちや有力者の声しか政治の場で通らなくなくなるのです。わたしたちがいつもお声をいただいている市民のみなさんの「税金さげてほしい」「国民健康保険料さげてほしい」「水道料さげてほしい」「保育料下げてほしい」なんて願いは、届かないのです。今回、山野前市長と結託していた業者がやろうとしていた競輪場外車券売り場は年間売上20億!!!の施設です。その「利益ほしい業者からお願いされてその見返りを山野前市長が受け取った」ということはあきらかなわけですから、やはり「利権政治」に手を染めた政治家であり、金沢でそういう政治が行われたということで、市民は本来怒らなきゃいかんですよね。だってわたしたちの税金を託して政治をお願いしているのにそんなことしたのだから。そして、こういう政治はいきなり生まれません。今までもあったのでしょう。それが今回明るみに出てしまったにすぎない、とすれば今回の選挙は「利権政治から手を切ることを金沢市民が本気で考えるかどうか」が問われる選挙だと思います。「利権政治なんてだめに決まってるやん」とわたしはふつうに思うのですが、意外と「政治なんて多少そんなところがある」「仕方ない」「人がよくてついやってしまったのよね」なんていうお声も。わるいけれどそれでは、だれのためにもならない。ずっと、それなりの生活をしていられる保障のある人やまさに利権政治で恩恵を被っている方々は今の現瞬間はそれでいいのかもしれませんが、大概は自分の生活や今後を考えてもそんな悠長なことは言っていられないはずです。それは今が不景気だからということとではなく、常に世界も国も国民も変動するから。たとえば大きな自然災害が起きたりすれば全体の問題だし、交通事故にあって一生半身不随とか、生まれもって障害があるとか、いろんなリスクや条件を抱えている集団だからこそ、国や自治体という集団の中で税金集めて分配をしているのです。東日本大震災やリーマンショックで痛いほどそれが分かったはずなのですが・・力の強い方やお金持ちのために税金を集めているわけではないのです。ということからすれば、現瞬間で安泰な方もいざとなって「なんて弱者に暮らしにくい国なんだ」とか思うわけです。そういう方から相談来るのでわかります。
ちょっと、長くなりましたが「利権政治」は現瞬間の金と権力のある者のためにしかならないし、つまり長い目で見たらだれのためにもならないのです。そして、なにより利権政治がはびこれば、「わたしの願いをこの1票に託す!」とまじめに投票にいくのすらばかばかしくなってきちゃいますから、市民の政治参加も停滞しますし、民主主義も育たないわけです。よけいに権力者の思うつぼなわけです。だからこそ、憲法や法律で利権政治を縛っているのですよね。金沢市民だれもが政治参加をしたいと思える市政。それが今まさに求められるのではないかと思います。そのうえで、誰もがゆたかな暮らしを手にできる金沢をつくっていきましょう。
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