ブログみよみよ日記

岩手行ってきました。

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昨日は岩手県から戻ってきました。

10から13日の日程。

11時間以上車で移動し、まずは岩手県遠野市に入りました。

遠野市の共産党市委員会で寝泊りし、被災地や仮設住宅へ伺いました。

まずは、被災地の現状をご覧ください。

釜石市内。

釜石港。調度3ヶ月目の2時46分、菅さんもいらいしていました。

この方は漁協の副会長さんで、菅さんに「こんなところに来てないで予算早くつけてくれ」と

おっしゃたそうです。

大槌町役場。

地震発生後、町長をはじめ多くの職員の方々が対策会議を行っていたところ

津波に流されてしまったそうです。

陸前高田市にも入りました。

陸前高田市役所。

市庁舎はじめ、市の中心部が壊滅状態になりました。

しかし市長の動きが早く、がれきの撤去も進んでいます。

気仙沼です。

ところどころ冠水しており、作業も進んでいない様子。

気仙沼港。

どの場所でもそうですが、地震の被害は見た目にはわからないのですが、

津波が来たところを境に壮絶な被害。

役場や住宅のあったところでは、ついさっきまで仕事したり普通に生活

していた様子がみてとれました。

もう言葉になりませんでした。

ここからは活動内容。

1日目は雇用促進住宅に避難してこられた方々をご訪問し聞き取り調査。

釜石でおうちも車も流されてしまった若い世帯。

食料や夏服も足りない現状に、

「せめて子どものものだけでもほしい。」とお母さん。

高校2年生の女のこが出てきたおうちでは、

同じく釜石でおうちが流されて避難。

母親と二人暮らし。母親が元々病弱で、今回さらに悪化。

「高校辞めて働くつもりなんです。」と・・・

2日目は、釜石の仮設住宅でフリー(無料)マーケット。

東部地区委員会前で尾西さんと一緒にパチリ。

生野菜や夏服などトラックいっぱい持っていった物資が飛ぶようになくなりました。

私は血圧を測りながら、健康相談。

尾西さんも生活相談です。

体重が3kg減った方や、仮設住宅に慣れずに夜眠れない方。

お年寄りのみなさんは、動くことが減り膝や腰の不調を訴えて

おられました。

ただみなさん、不便でも自分の住んでいた釜石に戻ってこられた

ことをまず喜んでおられました。

少し前まで看護師をされていた方が、私の聴診器を見て

「私のリットマン(聴診器のメーカー)は流されちゃった・・」と一言。

ものだけでなく、いろんな思い出も流さてしまったんだろうな・・

こんなにみなさん大変なのにも関わらず、今回どこへ行ってもあたたかく

迎え入れてくれました。

この銭湯は、3ヶ月前に店じまいしたのに、ボランティアの方のためにと

再開してくれたんです。

左のお母さんがこの釜で木をくべてお湯を沸かしているんです。

しかも11年前ご主人が亡くなってから女で1人で地域のために

がんばってきたんです。

毎日、お母さんの愛情や地域のつながりを感じながらがんばれました。

東北というところは昔から貧しいけれど、となり近所寄り沿いながら

がんばって生きてきた。

今回震災が起きても、「やっぱりふるさとに戻りたい」「地域を復興させたい」

という思いで、みなさん協力してがんばっておられました。

その思いに答えるべく引き続き救援募金・物資の支援を行い、

7月にはまたご支援に伺いたいと思います。

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